文学の凝縮、アイドルの拡散

62.北野武『アキレスと亀』〜芸術を追うこと

 修士論文の提出期限まで約1か月となりました。

 最近は4、5時間くらい研究室にいて、帰宅してから映画をみたり本を読んだりという生活をおくっています。

 あと、ひとつきほど前から、3日に1回くらいのペースで7kmくらい荒川沿いのコースをランニングしています。

 

アキレスと亀 [DVD]

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 2008年公開、絵を描き続けることしかできない売れない画家の一生をえがいた北野武監督作品です。

 物語が幼少期、青年期、中年期と3つにわかれているのですが、とくに幼少期

は映像のトーンやストーリーのまとまっている感じがあまり北野武映画っぽくありません。

 青年期からだんだん狂った感じになっていきます。

 主人公は幼い頃からずっと描き続けているだけあって、たぶん技量はそれなりにあるのですが、オリジナリティが発見できない、あるいは頭が悪くて画商のいいなりにしか描くことができないという具合で、いつまでたっても芽の出ないどうにも救いようのない状態で歳月だけが経過していきます。

 

 力のある映画でした。

 主人公や芸大の友人たちはみな決定的な何かを渇望し、実態のわからないそれに「アート」と名付け、もがきつづけ、何も掴んだ感覚をえられないまま死んでいく者もいて、主人公はおじいさんになってもずっと「アート」を追求している。

 買春している娘に絵の具代を無心するシーンが印象的です。

 

 気になった点をひとつ言うと、主人公がまるきりアホのある種無痛病みたいな人物像なので、そこに少しでも理性的な思索であったり葛藤であったりのゆらぎが垣間見えるシーンがあると、個人的にはより好みだった気もしますが、まあよくわかりません。

 

 以上。

61.北野武「菊次郎の夏」〜傍若無人な男の描像

 

菊次郎の夏 [DVD]

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 約3週間ぶりの投稿となりました。

 3週間前に帰京してから、太宰治賞にむけて原則読書と映画鑑賞を断った生活を送り、いくつか構想を考えたりはしたのですが、結局小説を書くことができずに終わってしまいました。

 やると決めたことを断念する運びとなったとき、それを改善すべき自らの怠惰とみなすか、あるいは別の新鮮な領域に開かれた好機とみなすか、取り扱いが難しい。

 

 1999年公開、しらない子供とふたりで旅をするロードムービーみたいになっていて、北野武の映画としてはめずらしく終始温和な雰囲気に包まれています。

 とはいっても、大人たちが子供みたいにがちゃがちゃ遊んでいる感じや、北野武演じる主人公の傍若無人な振る舞いの感じは、北野武の多くの作品に通じているものですが本作でとくに際立っています。

 

 ずっと流れているピアノ曲が、めちゃくちゃ聞き覚えのある曲で、あとから調べると久石譲作曲の「Summer」という曲でした。

 たぶん誰しも聞いたことのあるメロディですが、もともと本映画のために作られた曲のようです。

 

 あとやや安っぽいファンタジックな映像の合成がちょくちょく使われていますが、これは子供が物語の中心にいることに関係しているのでしょうたぶん。

 

 短いけれど以上。

60.青春そのものを爆発的に歌いあげた〜ゲーテ『若きウェルテルの悩み』高橋義孝訳

 

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

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 1774年刊行、訳者高橋義孝の解説いわく「青春そのものを爆発的に歌いあげた世界文学史上最高の傑作」です。

 

 いわゆる書簡体小説とよばれる形式で、主人公ウェルテルが友人ウィルヘルムにつづった手紙の文面によって物語が進行していきます。

 

 ウェルテルは人妻のロッテに恋焦がれているのですが、たとえば以下の文章に、彼の思慮深く情熱的な執着心がなまなましく立ち現れています。

 ウィルヘルム、愛のない世界なんて、ぼくらの心にとって何の値打ちがあろう。あかりのつかない幻燈なんて何の意味があるんだ。小さなランプをなかに入れて初めて白い壁に色とりどりの絵が映るのさ。なるほどそれもはかないまぼろしかもしれない、それにしてもさ、元気な少年のようにその前に立って、その珍しい影絵にうっとりしていれば、それもやっぱり幸福といっていいじゃないか。今日はやむをえない集まりに出るので、ロッテのところへは行けなかった。それで、どうしたと思う。下男をやったのさ、今日ロッテのそばに行った者をせめて一人ぼくの周囲に持っていたいためにだ。実にいらいらしながらその帰りを待ったが、帰ってきたのを見てはなんともうれしかった。頭を抱いて接吻してやりたかったよ、ただし恥ずかしくってそうもできなかったけれど。

 ボロニヤ石を日向においておくと、光線を吸い込んで夜になってもしばらくは光るって話だが、この下男がボロニヤ石さ。ロッテの眼があれの顔、頬、上着のボタン、外套の襟に注がれたのだと思うと、そういうものがみんなぼくにはひどく神聖で値打ちのあるものになるんだ。その瞬間は千ターレルくれる人があってもこの下男は手放すまいと思ったほどだ。下男がそばにいてくれると実にたのしかった。ーー実際、君、笑っちゃいけないよ、ウィルヘルム、ぼくたちをよろこばすものが幻影だとしても、それでいっこうかまわないではないか。(p54)

  また、以下のようなたけだけしい勢いのある比喩表現の連続もたびたび見られます。

(前略)ーー窓から遠い丘をながめ、朝日が霧を破って丘の上に昇り、静かな草原を照らして、葉の落ちた柳の間を縫ってゆるやかな川がぼくのいる方へうねってくるのを見るときーーああ、このすばらしい自然もまるでニス塗りの風景がのようにぼくの眼下にじっと動かずに置かれているんだ。どんな歓喜も、ぼくの心臓からただの一滴の幸福感さえ頭脳へ注ぎ込んではくれない。まるで水のかれた井戸、かわききった桶みたいに、人間一人が神の面前に突っ立っている。幾度も地に身を投げて神に涙を乞うた。空がぎらぎらと輝き、身のまわりの大地がひからびるときに百姓が雨乞いをするように。(p125)

 

 ちょうど帰省を終え、羽田空港から浜松町へ向かうモノレールのなかで本作を読み終えました。

 

 今後しばらくは自分の小説の執筆に専念し、読書は控えようと思います。

59.全く無駄のない〜山田洋次『幸福の黄色いハンカチ』

 

幸福の黄色いハンカチ [DVD]

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 1977年公開、われわれの親世代はみんな観てる映画みたいですね。

 

 非常によくできた、絶妙なバランス感覚のエンタメ作品だと思いました。

 テンポがよく、3人の登場人物のそれぞれがキャラ立ちしていて、高倉健演じる元囚人の過去が小出しにされていく速度もほどよく、視聴者を惹きつけたまま物語は突き進み、クライマックスのシーンも華々しいです。

 無駄なシーンが全然ないという印象を持ちました。

 

 あと昭和の美学感がめちゃくちゃ前面に押し出されてますね。

 あるいは本作品の方がそういった文化の形成に先じているのでしょうか。

 芸術はとりまく社会の影響下で評価が変動する部分がある、というのは例えば映画『君の名は。』にしても「突然隕石が落ちてくる」という事態は東日本大震災を経験していたからこそ受け入れられる展開であったみたいな話はよく聞きますが、本作における「女がじっと耐え忍び男を待ち続ける」みたいな美学も、もしかすると社会によって印象がずいぶん違うものかもしれません。

 

 大団円において「美学」を武器にする物語というのは、時代・社会の広い海の波打ち際に基礎を立てているようなもので、エンタメ作品は多少なりともそういった繊細さを抱えなければならないのだなあ、などと思いました。

58.上質白黒コメディ〜ハワード・ホークス『赤ちゃん教育』

 

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 1938年公開、アメリカのコメディ映画。

 映画好きの友人から、界隈では有名(?)だと勧められて観ました。

 

 動物学者の主人公が、自由奔放な娘によって豹探しなどのいざこざに巻き込まれていく話です。

 この女性の、主人公にたいする無駄がらみの感じや、内容は冗長でテンポはリズミカルな会話などよかったです。

 あと普通に、豹や犬が、合成ではなくあんなに上手に演技(?)できるのにびっくりしました。

 

 総じて相当質の高いコメディ作品だと思いました。

57.あいまいさの使い方〜是枝裕和『万引き家族』

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 まだぎりぎり上映中の映画。

 車で1時間半かけて両親と映画館にいきました。

 この前カンヌのパルム・ドールを受賞した作品です。

 

 エンタメとしては相当完成度の高い作品だと思いました。

 言葉や表情のかけあいがいい、ユーモラスで心地よい。

 

 気になった点をあげると、まず松岡茉優演じる女の子が、不自然に浮いているような気がしました。

 美人すぎるといえば身も蓋もないですが、まあそれにしてもいい人すぎるというか。

 JKリフレ(?)の客と抱き合うシーンも、ちょっと安っぽいというか。

 もともと「何のとりえもない太った女」という役柄だったのを、松岡茉優抜擢のあとで是枝監督が脚本を書き換えたということらしいですが、その粗が出ているのでしょうか。

 

 あと、取り調べする警察と、警察によって勘違いに誘導されてしまう家族の感じが、ちょっと型にはまりすぎていた気が。

 

 たぶん本作の一番の見所であろう安藤サクラ演じる母親(?)の、取り調べ中に乾いた涙を浮かべながら供述する長回しのシーンは(いや一番の見所は風俗店でブラジャー姿の松岡茉優が真顔で腰を振るシーンだという反論については、わたしはむしろ全面的に賛成します)、たしかに力がありましたね。

 

 本作は随所に「あいまいさ」をのこしている作品だと思います。

 そこには大きく2種類のあいまいさがあって、登場人物がわりときっぱり言明していて腹のなかで意思が決まっているが視聴者には読み取れないというたぐいのあいまいさと、登場人物のなかでも混沌としていてその混沌を視聴者が共有するというたぐいのあいまいさです。

 たとえば万引き常習犯の男の子は前者のあいまいさ、樹木希林演じるおばあちゃんは後者のあいまいさの印象がつよい、という感じです。

 まあ現実的には大人になるにつれて判然としない純文学的な心理を獲得していくものでしょうから、上の結果は当然かもしれませんが、とはいえリリーフランキー安藤サクラの夫婦は前者な感じがしました。

 だから個人的には映画全体としてエンタメの印象を覚えたのですが。

 とはいえおもしろいのは、虐待をうけていた女の子は後者の(あるいはどちらでもない第3の)あいまいさをまとっているということです。

 これはある程度しっかりした意思を獲得する以前の年齢であるという特殊な要因によってもたされたあいまいさですが、それゆえこの女の子がもともとのアパートから外を見つめて終わるというラストシーンの仕上がりは優れていたと思います。

 

 だいたいそういう感じ。

56.拳銃なしでも真骨頂が味わえる〜北野武『あの夏、いちばん静かな海』

 

あの夏、いちばん静かな海。 [DVD]

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 1991年公開、聾者がサーフィンを始める話です。

 

 北野武作品にはめずらしく拳銃が登場しませんが、真骨頂はいくつも発揮されています。

 まず、表情ですね。

 本作は主人公とその彼女(?)が聾者で、そして彼らは通常の聾者以上に「無口」なため全体としてかなり静かな映画になっているのですが、たっぷり時間をとったワンショットの表情がよいです。

 とくに主人公の彼女は、美人は美人だけどすごい美人ってわけでもない器量をしていて、常にどこかまとまりのない表情を浮かべているのが秀逸です。

 他にはたとえば若者たちの会話、雰囲気です。

 彼らの互いを茶化すようなユーモア、なんとなく口数の少ない感じが、自然でいて独特な雰囲気を作っています。

 あとこまめな小道具がいいですね。

 最後のボードに写真を貼り付けるのも、ガムテープではだめで、あの100均とかに売ってそうな小さなセロテープがいいんですよね。

 

 というか遅ればせながら、普通に設定がいいですね。

 サーフィンを始めた男と、黙ってすこしにこにこしながらいっつも浜から練習を眺めている彼女、という設定。

 

 対談で黒澤明北野武本人に対して、本作のラストシーンはいらなかったんじゃないかと言っていたのを覚えています。

 写真のはりつけられたボードが浮かべられたあとの、回想シーンのことだと思います。

 私も同意です。

 たしかその指摘に対して武は、説明がないと伝わらないと思った、とか自分でも必要かどうかよくわからなかった、とか言ってた気がします。

 

 小説でもそうですが、こういうある種の平凡さを基盤とした物語を考えるのって簡単そうで案外難しいんですよね。