文学の凝縮、アイドルの拡散

78.開高健『裸の王様』

 

裸の王様・流亡記 (角川文庫)

裸の王様・流亡記 (角川文庫)

 

開高健芥川賞受賞作。

 

扱っているテーマは児童教育。児童にたいする大人たちの当を得てない思惑を、画塾の先生である主人公は気に食わない。

 

くりかえし述べられる教育論めいた話にはどこか既視感がある、しかし、その鮮烈な描写はけして風化していない。社会派的な内容には不釣り合いなほど、たっぷりレトリカルな文章。その流線もなめらか。

 

 ぼくは太郎といっしょに息を殺して水底の世界をみつめた。水のなかには牧場や猟林や城館があり、森は気配にみちていた。池は開花をはじめたところだった。水の上層にはどこからともなくハヤの稚魚の編隊があらわれ、森のなかでは小魚の腹がナイフのようにひらめいた。ガラス細工のような川エビがとび、砂のうえではハゼが楔形文字を描いた。ぼくは背に日光を感じ、やわらかい風の縞を額におぼえた。(角川文庫 p23) 

 

77.松浦理英子『葬儀の日』

 

葬儀の日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

葬儀の日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

 

松浦理英子氏が20才のときに書いた、文學界新人賞受賞作。つまりデビュー作。

 

これを、だれがどのように評価できるのだろう。葬儀のさいに依頼される「泣き屋」、「笑い屋」という架空の職業(泣き屋という職業は実際にあるらしい)をとりあつかいながら、思弁的・観念的な描写が多用され、小説の後半はほとんど詩に等しい。過度なメタファが気になるといえば気になるが、その余剰は不恰好な姿をさらすのではなく、むしろ熱情の海に結びついているように思われる。

76.柴崎友香『春の庭』

 

春の庭

春の庭

 

 

ちょっと前の芥川賞作品。

 

アパートに住む三十代の男を中心に、その隣人たち、周辺の建造物の輪郭を、さらさらと、それでいて柔らかい手触りで描く。たいした筋はない。悪くいえば退屈。がしかし、気づくと、読者は構造を失った不思議な浮遊感のなかに連れていかれる。テクストのはざまに、薄暗いやぶれが口をあける。手を差し伸べると、そこにはほのかなぬくもりがあり、確かに、ちいさくぼんやりと発光している。

 

 つまみも、ビールももうなくなっていた。雪に覆われた街は、静かだった。雪でなくても、この街は静かなのかもしれなかった。時折、屋根や木の枝から雪が落ちる音が聞こえた。音が重さそのものだった。白い結晶の塊は、温度を吸い取っていった。家も木も電線もアスファルトも空気も夜も、温度が下がっていった。(p127) 

 

75.町屋良平『1R1分34秒』

 

第160回芥川賞受賞 1R1分34秒

第160回芥川賞受賞 1R1分34秒

 

先日発表された芥川賞受賞作。

 

わたしは現在町屋駅徒歩5分の場所でシェアハウスをしているが、どうやら町屋良平氏も近所に暮らしているみたい。

 

筆のにぎりが軽い。感情の噴出、文章の奔流がアクロバティックに展開されるが、バランス感覚が巧みにコントロールされていて、全体としてくどい印象はなくさらりとした後味がここちよい。モノローグ的な文章の集積の最下層からしぼりだされる言葉、長い潜水ののちの息継ぎにも似た情動の披瀝が、読者の胸の内に克明なフレーズとして残る。

 

 ぼくは飽きもせずもう一度窓辺の彼女を抱いた。まだパンツだけの姿だったぼくに、ぼくのシャツを着た彼女。いいにおいがして、ぼくはもう、果てしがないよ。(文藝春秋2019年3月号 p444) 

 

74.チェーホフ『三人姉妹』

 

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

 

友人に、

「君の彼女は小説の登場人物でいうと誰に似ているんだい」とたずねたところ、

「強いていえばチェホフの『三人姉妹』の三女のイリーナかな」と返答されたため、本作を拝読。

 

戯曲であるため、作品はほとんどセリフのみで構成されている。

 

私は戯曲という散文作品をちゃんと読むのがおそらく初めてで、この形式自体が新鮮。登場人物の数が多く、一読で話を追うのは困難。が、書かれているセリフそのものは(私の読書経験からすると)風変わりであり、興味深い。全体を通してあまり会話が噛み合っていないのもよい。

 

自由と束縛どっちつかずの場所で、ささいな苛立ち、繰り返される落胆、恋愛への没入、堂々と語られる哲学論、そういったいくつもの歯車がゆるく噛み合いながら、全体の機関がなんともいえず非効率に回転している。そういう印象。

73.本当に面白いM-1漫才ベスト10

普段は小説や映画の話ばかりしていますが、お笑いも好きなので、今回は歴代M-1グランプリのネタのなかで個人的なベスト10を発表します。

 

対象は2018年までのM-1グランプリ。なお、2011~2014年に開催されたTHE MANZAIのネタは対象としていません。

 

あくまで個人の見解にもとづくものです。

 

10位 フットボールアワー2003年1本目 『結婚会見』

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松本「おもろい」

 

つかみが抜群にきまっています。個人的にはM-1グランプリは2003年から始まった感がある。フット、笑い飯、アンタの3組の決勝も豪華で、2001、2002年とくらべ一段上の盛り上がりをみせたような気がします。

 

9位 サンドウィッチマン2007年1本目 『街頭アンケート』

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紳助「サンドウィッチマントータルテンボスキングコング。漫才の技術としてはこの3組がずばぬけてる。その中で、僕はサンドウィッチマンが1番おもろいと思ったので、他の2組よりも点をプラスしました」

 

一夜にしてスターダムを駆け上った。優勝決定後のインタビューの富澤の発言「今アパートでふたりで暮らしているんですけど、この賞金で、ふたりでマンションに引っ越します」も印象的。

 

8位 オードリー2008年1本目『部屋探し』

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大竹まこと「こんな漫才みたことないね」

 

敗者復活からきて最高得点を獲得したネタ。噛んであれだけのウケをとったのは後にも先にもオードリーのみ。

 

7位 和牛2017年1本目『ウェディングプランナー』

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今田「いい子だねえ」

 

和牛のM-1のネタは他にもたくさん面白いのがあって迷いましたが、とくに爆発力のあるこのネタを選びました。

 

6位 ブラックマヨネーズ2005年2本目『空手』

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松本「マヨネーズがもう、マスタードみたいになってますね」

 

盤石。M-1ってだいたい2本目のネタが劣るのが相場だけど、そんな通説はものともしない、尋常じゃない安定感。

 

5位 アンタッチャブル2004年1本目『結婚挨拶』

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島田洋七「メガネかけてる君、やっぱうまいよ」

ザキヤマ「あざーす!」

 

M-1史上最高得点を叩き出したネタ。この年は南キャンの躍進もあったが、それでもアンタが圧倒的だった。

 

4位 ジャルジャル2017年1本目『ピンポンパンポン』

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松本「僕は一番面白かったんですけど、そうでもないと思う人もおるかな」

 

高得点をつけたのは松本人志のみでファイナルラウンドには進めませんでしたが、ジャルジャルの真骨頂が爆発している傑作。単純なルールの掛け算で、めちゃくちゃ面白いものができあがる。ジャルジャルは2018年の国名わけっこのネタと迷いましたが、こっちを選出。

 

3位 スリムクラブ2010年2本目『葬式』

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宮迫「スリムクラブのボタン押すとき、手がものすご震えました。これ押していいのかしらって」

 

ぜんぜんしゃべってないのに爆笑がなんどもなんども起きる。笑いの異常気象。

 

2位 チュートリアル2006年2本目『チリンチリン』

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松本「もうたぶん、途中から自分たちでも(優勝すると)わかったんじゃないでしょうかね」

 

4分間が完璧にデザインされている不朽の名作。会場の笑い声がクレッシェンドしてゆき、地鳴りのようになる。2本目にこれを残しているのがすごい。

 

1位 笑い飯2003年1本目『奈良県立歴史民俗博物館

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紳助「感動しましたわ」


笑い飯鳥人のネタと迷いましたが、こっちを選出。たぶんM-1の全漫才のなかで、オチが一番きまっているネタ。鳥人のネタもそうですが、とにかく設定のチョイスが秀逸。

 

 

以上です。2019年もたのしみ。

 

 

72.羽田圭介『メタモルフォシス』〜マゾヒストな証券マンの話

 

メタモルフォシス (新潮文庫)

メタモルフォシス (新潮文庫)

 

中村文則氏が某ネット記事のインタビューで、本作を読んだとき初めて自分より年下の男性作家ですごいと思うやつが現れた、と述べていたため手に取った。

 

まずもって、SM風俗の人道を逸した肉体的苦痛をともなう調教プレイ、詐欺まがいの手練手管を用いて老人から資産をむしる小規模証券会社の仕事という、A面B面のようなふたつの舞台自体、たくさんの新鮮な情報をはらんでいて面白い。ふたつの舞台の取り合わせも、単純にうまい。

 

女王様との調教プレイの最中のみならず生活のあらゆる面に横溢した、主人公たちの非人道的なまでに過剰なマゾヒストの欲望の発露も、熱量があり、緊迫感があり、説得力があった。

 

しかし、そういった生々しく凄惨な描写の集積があるにもかかわらず、ラストシーンが大仰に見えた部分もあり、読後感としては案外に軽い、空虚な印象が残った。これは読者の想像力の不足であろうか。