文学の凝縮、アイドルの拡散

14.『鏡のなかのアジア』谷崎由依

 

鏡のなかのアジア

鏡のなかのアジア

 

 先日発売された、谷崎由依氏の短篇集です。

 運良く図書館で借りられました。

 

 谷崎由依氏を初めて読んだのが、本短篇集収録の『天蓋歩行』でした。

 去年か一昨年くらいの『すばる』で読みました。

 常に体が5センチ浮いた状態で読んでいる気になるような、これぞ小説世界とでもいいますか、そういう風な文体です。

 ひかりがやってくる。

 霧の帳を掻き分けながら私の許へやってくる。

 五色の羽と嘲るような黄色い嘴の鳥が肩にとまり、左の、五十三本目の腕に隠れていた三毛栗猫が、気配を察して顔をあげる。無花果が年はじめたことを動物たちは知っている。私の身体に巻きつきながら育ってきた蔓植物の実が、膨らんで、じき食べごろになることを知っている。

 目の前には、半マイルほどの彼方に二本の高木が聳えていた。周囲のほかの木々から抜きん出て伸びている。この私のおなじくらい、高く巨大な木だった。それはkapur樹で、同種のものがめずらしく隣りあって生えていた。kapurの葉は、けして重ならない。双子のその木は互いに触れあうことなく、森の中央に立ち尽くしていた。

 私を覆うたくさんの葉が、そのとき、ほんのわずかに揺らいだ。何かが私に、まばたきをさせたのだ。その正体を、探した。私の身体の何十万分の一かのおおきさの蝶だった。幹のまわりを飛んでいた。

 Morpho adonis huallaga。異国のうつくしい神の名を与えられた青い蝶。私は右手を差しのべた。青い生きものはそこへとまると、やがて静かに羽根をたたんだ。

 あるはずのないことだが、右手の、生きものがとまったあたりに、仄かなあたたかみが感じられた。そのあたりの樹皮はまだ若かった。ゆえに敏感だったのかもしれない。喜び、とのちの私なら呼ぶことになる感情が、そこから徐々に広がっていった。身体のうちをめぐる水分が、透明になっていく。(『鏡のなかのアジア』所収『天蓋歩行』冒頭)

 『鏡のなかのアジア』の所収作品はだいたい外国が舞台になっていて、作品名のしたに都市名が書かれています。

 『天蓋歩行』はマレーシアだそう。

 

 谷崎由依氏の作品は、文學界新人賞受賞作『舞い落ちる村』も読んだことがあります。

 こちらもやはり、霧のかかったような、奇妙にふわふわした読書体験でした。

 

 谷崎由依氏は確か大学講師で、翻訳とかの仕事もやっているみたいです。

 そういう経験も作品に生きているんでしょうか?

 

 まあともあれいい文章を書く人なので、近いうちに芥川賞でも取るんじゃないでしょうか(上から目線)。