文学の凝縮、アイドルの拡散

21.読みさしで終わった2つの小説についてー『送り火』と『春、死なん』

 近所の某巨大図書館では、新刊の雑誌は貸し出し不可。

 なので、新刊の文芸誌はこの図書館に行けば必ず置いてあって読むことができるので(基本的に閲覧している人がいない)、重宝しています。

 で数日前に、文藝春秋に掲載の『送り火』を読み始めました。

 これは先日芥川賞を受賞した高橋弘希氏の作品です。

 青森の小学生たちの日常の話。

 割と硬い文体で、暴力的な子供同士の遊戯の描写がある、みたいなことは事前に聞いていたのですが、読んでみてまず思ったのは、文章が淡々としているなあということでした。

 すごくざっくり言うと、文体に目立った特徴がない感じ。

 特徴がないというとなんかディスっているみたいですが、別にいいとか悪いとか言うつもりはなくて、ただ純粋にそういう印象を抱いたというだけです。

 まあ、段落の末尾にところどころ類推のような表現が取り込まれている感じは、多少ユニークだとは思いましたが、それでも全体として淡々としているなあと思いました。

 といっても、読みさしのままで翌る日にまた図書館に行ったら文藝春秋が次の新刊に変わっていて(!)、続きを読むことが不可能になったため、私は全体の6分の1程度しか読むことができず、なのであまり大きな声では論評できないのですが。。。

 

 そしてつい数日前に発売された群像に掲載されている、セクシー女優紗倉まな氏の『春、死なん』も読みました。

 こちらは半分くらい読んで飽きて読むのをやめてしまったのですが。。。

 この小説は、孤独感を抱きながら生活している老人の話です。

 読んで率直に思ったのは、文章が本格的だなあということでした。

 文学っぽい風景の描写や心情の気の利いたレトリカルな描写が結構あって、驚きました。

 やはり紗倉まな氏が書いているという先入観があったので。

 ところどころ、アマチュア小説家っぽい若干の拙さもあった気がします(恐縮な物言いをしてしまっていますが、私自身読みながら、なんともいえない同情めいた恥ずかしさを抱きました)。

 ただ自分が途中で読むのに飽きちゃったのは、なんとなく要所の文章表現がエンタメっぽいノリに引っ張られている気配があって(微妙なところですが)、それをつまらなく感じてしまったから、という具合です。

 半分しか読んでいないので、骨となるストーリー展開についてはなんとも言えないのですが、まあ、前半部分を読んでいて自分はそう感じました。

 しかしひとつ言うと、拙さのある小説作品や映像作品を鑑賞すること自体は、私はまったく嫌ではなくて、だから知人が小説を書いたと言えば進んで読むし、むしろ何がよくないとか分析するのが楽しくて好きなくらいなのですが、まあ知人とかじゃなければ途中で飽きちゃいますね、特に小説の場合は。

 (ていうかそもそも「小説」って、普通に読むの疲れるしめんどいよね。)

 

 とにかく、どちらの作品もそれぞれ面白さがありました(それはそう)。

 

 最近ずっと短編ばかり読んでいたのですが、当面は、かれこれ一年間くらい買って放置していたフィッツジェラルド『グレート・ギャヅビー』、カミュ『異邦人』、椎名麟三『永遠なる序章』あたりの長編を読もうかと思います。

 

2018年 09 月号 [雑誌] (文藝春秋)

2018年 09 月号 [雑誌] (文藝春秋)