文学の凝縮、アイドルの拡散

32.鉄パイプとおっぱい〜スタンリー・キューブリック『時計じかけのオレンジ』

 

時計じかけのオレンジ [DVD]

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 小説ではなく映画の方です。

 公開当時は自殺だか暴力事件だか、いろいろ社会への「悪影響」があったとかなかったとか。

 観ようと思ったきっかけは、北野武の好きな映画10本にリストされていたからです。

 

 とにかく鉄パイプとおっぱいがたくさんでてきます。

 拳銃は出てこない、薬もないっていうのはちょっと特徴的かもしれません。

 暴力と性描写の目白押しっていうのは、なんというか、小説にしろ映画にしろひとつの「型」としてあって、それは人間に潜在する動物的な欲求の生々しい具現なわけですが、だからこそ安易にそれに乗っかろうとすると作品が破綻してしまうものでもある、という難しさをはらんでいる思います。

 なので、本作みたいな、それで成功している作品ないし数多のトリビュート作品の元になっている作品を仔細に観察することは、学ぶことが多いですね、たぶん。

 風景だけを移したシーンみたいなのはほとんどなくて、展開のスピーディさはエンタメなのですが、狂人の心理っていうのはそもそも定義として根本的な部分が判然としないものなので、それ自体が必然的に文学の雰囲気を醸し出すトリガーになっているのだと思います。

 

 あと本作について言えば、タイトルのつけかたが面白いですね。

 時計じかけのオレンジ(A Clockwork Orange)って、本作の内容と直接的にはなんの関係もないし、なんかいろんな小説や映画のタイトルに汎用できそうで、そのフレーズの響き自体がよい、って感じのもの。

 考えてみると、そういう、作中の出来事と直接的な関連のない、一言の言及すらもされない、けどふんわり全体を表している風なネーミングの作品は昔から一定数存在しますね。

 小説だと例えば、夏目漱石の『こころ』、太宰治の『斜陽』、石原慎太郎の『太陽の季節』、丸山健二の『夏の流れ』、最近だと又吉の『火花』など......。

 

 そういうタイトルのつけかたって、俳句の「取り合わせ」みたいな感じがして自分は結構好きです。