文学の凝縮、アイドルの拡散

39.エスプリ的な文章〜堀江敏幸『熊の敷石』

 

熊の敷石 (講談社文庫)

熊の敷石 (講談社文庫)

 

 本作は堀江敏幸の2000年下半期芥川賞受賞作品です。

 フランスで生活する日本人の話で、本人もフランス文学者、わりと私小説的な作品らしいです。

 筆致は軽やか、突然時間軸を遡ったり、場面が切り替わったり、内省的な文章と風景描写が混じっている感じもあって、こういうのを「音楽的な文章」というのでしょうか。

 私の知っている範疇だと村上春樹に近い気もしますが、それとも違います。

(前略)腸詰めの産地として知られる町を抜け、丘の起伏に沿ってくねくねまがる見晴らしの悪い道をたどり、谷あいの小川を右手に見ながら走っているとだんだん景色が涸れて白っぽい岩がむきだしになってくる。この地方がシードルの産地になったのは水の質が悪く、生水より酒を飲んだ方がましだからなんだというヤンの解説を聞きながらさらにしばらく走ると川沿いにお目当ての採石加工場があったが、やはり週末に働きに出ている職人はひとりもおらず、門は固く閉じられていた。(講談社文庫 p39)

 

(前略)そうするうち彼女は席を立って、表面がみごとな飴色に輝くタルト・タタンと、ヤンの家では味わうことのできなかったエスプレッソを運んできてくれた。さあ、自家製タルトを召し上がれ。ところが、期待に胸をふくらませ、ひと切れ口に入れたとたん、私は顎がはずれるような痛みに襲われて思わず顔をしかめ、その瞬間、記憶がパリ郊外に飛んだ。いつのことになるのか、あれは暖かい春の日の午後、ペタンクの帰りにヤンのアトリエに立ち寄ったとき、どうも口寂しいなと漏らした私の言葉をとらえて彼は立ち上がり、冷蔵庫をのぞいてから、時間はかかるけれど、お菓子を焼いたら食べるかい、と私に尋ねた。お菓子って、きみが焼くのか? もちろんだ。じゃあ試したいもんだね。彼は大量のニンジンとまな板とピーラーと包丁をテーブルに運び、こいつをみじん切りにしてくれ、と私に命じた。自分でやるんじゃなかったのか? そのくらい手伝えよ。(p119)

 芥川賞の選評をみると、黒をつけているのが二人いて(芥川賞選考委員らによる投票は二重丸、丸、三角、四角、黒四角、黒三角、黒丸を用いて行われます)、両人とも「エスプリ」という言葉を使っています。

 

 宮本輝「作品の主題なのかどうなのか、熊の敷石なるものも、私には別段どうといったことのないただのエスプリにすぎないのではないかという感想しか持てなかった」

 河野多惠子「彼等の会話、幾つものエピソード、食事や風景のこと、いずれもエスプリもどき、知性まがいの筆触しか感じられない」

 

 エスプリという言葉は、わたしもよく意味を解していなかったのですが、精神とかウィットとかいうことを意味するだけでなく、日本語で用いられる場合には「フランス人的な明晰でドライな考え方」といった風なニュアンスが加わるようですね。

 なのでこの二人の用いる「エスプリ」の中には「フランスもどきのペダンチック(衒学的)な文章」みたいな否定的なニュアンスが込められているみたいですね。

 

 私は(一時期ラテンアメリカ文学の授業を受講し多少触れていたのを除けば)ほとんど海外文学を読んだことないので、フランスっぽいとかロシアっぽいとかその中でもさらに誰っぽいとか全くわからないのですが、まあおいおいその界隈にも手を出したいと思っています。

 とにかくカミュを読んでおきたいのと、あと三島由紀夫が推していたゲーテは読んでみたいですね。

 あとアジア系の作家を誰一人として知らないので、そのあたりのノーベル賞受賞作家の作品でも読んでみようかと思っています。