文学の凝縮、アイドルの拡散

55.わたしもあなたも異邦人〜アルベール・カミュ『異邦人』窪田啓作訳

 

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

 

 1941年刊行、言わずと知れた最も有名なフランス文学、ひいては最も有名な世界文学のひとつだと思います。

 ずっと前から古本を購入して手元には置いてあったのですが、ようやく読みました。

 

 まず取り上げたいのは、とくに前半部分の、読んではそのまま頭の中をすりぬけていってしまうような、そういう特性を持ったつかみどころのない文章です。

 10ページくらい読んで、そのあと数十分時間を置いてページを開くと、直前までの話の流れがまったく思い出せない、という具合です。

 語彙は決して難しくないのですが、短文が多く、描写の対象が目まぐるしく切り替わり、一見不必要な情景描写が入ってきたりして、おまけに登場人物がぽんぽん増えていくので、なんともストーリーが掴みづらいという状況に読者を陥れているのではないかと推測します。

 

 後半からは主人公の裁判が始まり、話の流れがはっきりとしてきます。

 本作品の描き出しているテーマはあえて言うなれば、並々ならぬなんらかの行為、とりわけ殺人を働いてしまうことが、何を持ってして異常と断定できるのか、そういうことってすんなりと、日差しが少しまぶしくなった程度の外力で起こりうるかもしれない、行為のメカニズムなんて論理的に言明できるものでもない、しかし大衆は人間のそういった部分を矮小化し構造化し、法律とか宗教とか一見立派なシステムによって片付けてしまおうとする、が私にとってあらゆる行為とはもっと混沌としていて、熱っぽく、はてしなく空虚な広がりである、て感じでしょうかわかりませんけど。

 

 われわれは一緒に外出した。レエモンは私にブランデーをおごり、それから、球を突いたが、私は全然当たらなかった。更に女を買いに行こうと誘われたが、そんなことは好きではないので、いやだといった。それでわれわれはしずかに家に帰って来たが、彼はその情婦にうまく制裁を加えたことに、どんなに満足しているかを、私に語った。私に対しては、彼は大層おとなしいように思われた。これは楽しい時刻だ、と私は考えた。(p42) 

 こういう自分の瑣末な心情を分析的に記述するのは、ひとつ本作の文体の特徴かと思います。

 

(前略)そのとき、すべてがゆらゆらした。海は重苦しく、激しい息吹を運んで来た。空は端から端まで裂けて、火を降らすかと思われた。私の全体がこわばり、ピストルの上で手がひきつった。引き金はしなやかだった。私は銃尾のすべっこい腹にさわった。乾いた、それでいて、耳を聾する轟音とともに、すべてが始まったのは、このときだった。私は汗と太陽とをふり払った。昼間の均衡と、私がそこに幸福を感じていた、その浜辺の特殊な沈黙とを、うちこわしたことを悟った。そこで、私はこの身動きしない体に、なお四たび撃ちこんだ。弾丸は深くくい入ったが、そうとも見えなかった。それは私が不幸のとびらをたたいた、四つの短い音にも似ていた。(p64)

 前半部分のラストシーンです。

 レトリックが爆発していますね。

 

 まあとにかくこういう小説を読むと、自分も早く書いてやろうという気が触発されるので、すばらしいです。