文学の凝縮、アイドルの拡散

85.今村夏子『こちらあみ子』

 

こちらあみ子 (ちくま文庫)

こちらあみ子 (ちくま文庫)

 
太宰治賞を受賞した氏のデビュー作。
 
「怪物」的少女を主人公にすえた小説で、三人称ながらunreliable tellerの書き方がなされているが、描写材料のとりあわせにささやかな心地よさが通底している。主人公の心情変化の足踏みといびつさ、会話の不通の描き方がうまい。
 
 とてもきれいな字で書かれた『弟の墓』は何度眺めても飽きることがなく、家に持って帰って動物のシールをペタペタと貼りつけたら更に見栄えがよくなった。しばらく惚れ惚れと見つめたあと外に出て、青葱の植えられたプランタがいくつか並ぶ駐車場の隅へと向かった。(p53)
 
 一、二、三、と指を折って数えたら、五歳の女の子の姿に行き当たった。一度も会えなかった女の子、これからももう二度と会うことのできないその女の子には顔がなかった。ない顔を思いだそうとした。思いだそうとしている自分に気がついて、あみ子はわずかにうろたえた。(p95)