文学の凝縮、アイドルの拡散

102.吉村萬壱『クチュクチュバーン』

 

クチュクチュバーン

クチュクチュバーン

 

久しぶりに「これ先に書きたかったあ」と思わされました。

吉村萬壱のデビュー作です。

細部のナンセンスな描写がちゃんと面白い。

 一カ所に留まっていても仕方がない、とは誰もが思い、人々は移動をやめなかった。混 乱は続いていたが、何が起こりつつあるのかまったく分からないという人間は少なくなっ てきていた。

 それでもこんな質問をする子どもがいる。

「母ちゃん、怖くないか?」

 子どもにそう言われた母親は、脇腹から余分な腕(脚かもしれない)を六本生やしてい る。まだ充分に動かないその余分な腕は、生まれたてらしい桜色をしていて、薄皮の下に 真新しい血管が透けて見える。摘むと大福餅のような感触だ。これのためにセーターの 脇を切り裂いてあるが、十一月だというのに寒くはなかった。裸でも過ごせる高い気温 が、もう丸一年続いているのだ。空の色は相変わらず安定しない。突然真っ黒に暗転する かと思えば、オーロラのような七色の光の帯が猛スピードで天空を走り抜けたり、眩しい 閃光が空一面を照らしたりする。鳥はほとんど見えなくなったが、たまに鳥よりもっと ずっと大きなモノが飛んで地上に大きな影を落としていた。(冒頭を抜粋)