タイトルのまんまですが、めっちゃ平易に「短歌」を説明してくれる良書です。
短歌とは何か、短歌はどう読む(詠むの方ではなく読解するの方)のか、など。
本書ではよい短歌とその「改悪例」を示して、もとの短歌のどの部分がうまいのかということについて穂村氏が優しく説明します。
改悪例というのは、たとえばこういう感じ。
空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋はそういう状態
[改悪例]空き巣でも入ったのかと思うほどわたしの部屋は散らかっている(p12)
大仏の前で並んで写真撮るわたしたちってかわいい大きさ
[改悪例]大仏の前で並んで写真撮るわたしたちってとても小さい(p16)
「煤」「スイス」「スターバックス」「すりガラス」「すぐむきになるきみがすきです」
てか3つめの句すごいですよね笑
私自身は、俳句は母が趣味でやっていることもあり若干馴染みがあるのですが、短歌や詩はたぶん作ったこともほとんどないし、よく知りません。
本書などを読んだ感じの印象では短歌は俳句に比べて定型を守らないことがおおい印象を受けました。
俳句はよほどのことがないかぎり575を簡単には崩さない、短歌は割と軽々と57577を崩す、という気がします。
俳句は削ぎに削ぎ落とした言葉で表現、短歌はだらっと書くパターンが割とある、という印象も受けました。
季語の有無の違いもありますね。
俳句だと、たとえば上五、中七で季語が現れないと、おお最後にどんな季語が来るのだろう的な読みかたをするものだと思うのですが、短歌にはそういうのはありません。
あと本書の特徴をひとつあげるならば、少しみた感じ他の穂村氏の著作もわりとそうだと思いますが、穂村氏が短歌(ないし一般に詩歌)とはどういう営みなのかということについてたびたび言及しようとしていることです。
本文中の言葉をいくつか引用すると、「社会化や効率化から逃れるもの」「生き延びるために生きないこと」「小さな死の意識と共有」的なことを述べています。
穂村氏の短歌論は、なんか読んでいて、おぉあついぞ、と思わせてくれる文章が多くてよいです。
とにかく、最近本書等とおして詩歌に強い興味を持ったので、穂村氏が短歌を始めるきっかになった塚本邦雄や、寺山修司が短歌を始めるきっかけになった中城ふみ子など、そのあたり調べてみたり、そのうち自分でも短歌を作って新人賞に応募してみようと思った次第です。