文学の凝縮、アイドルの拡散

60.青春そのものを爆発的に歌いあげた〜ゲーテ『若きウェルテルの悩み』高橋義孝訳

 

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

若きウェルテルの悩み (新潮文庫)

 

 1774年刊行、訳者高橋義孝の解説いわく「青春そのものを爆発的に歌いあげた世界文学史上最高の傑作」です。

 

 いわゆる書簡体小説とよばれる形式で、主人公ウェルテルが友人ウィルヘルムにつづった手紙の文面によって物語が進行していきます。

 

 ウェルテルは人妻のロッテに恋焦がれているのですが、たとえば以下の文章に、彼の思慮深く情熱的な執着心がなまなましく立ち現れています。

 ウィルヘルム、愛のない世界なんて、ぼくらの心にとって何の値打ちがあろう。あかりのつかない幻燈なんて何の意味があるんだ。小さなランプをなかに入れて初めて白い壁に色とりどりの絵が映るのさ。なるほどそれもはかないまぼろしかもしれない、それにしてもさ、元気な少年のようにその前に立って、その珍しい影絵にうっとりしていれば、それもやっぱり幸福といっていいじゃないか。今日はやむをえない集まりに出るので、ロッテのところへは行けなかった。それで、どうしたと思う。下男をやったのさ、今日ロッテのそばに行った者をせめて一人ぼくの周囲に持っていたいためにだ。実にいらいらしながらその帰りを待ったが、帰ってきたのを見てはなんともうれしかった。頭を抱いて接吻してやりたかったよ、ただし恥ずかしくってそうもできなかったけれど。

 ボロニヤ石を日向においておくと、光線を吸い込んで夜になってもしばらくは光るって話だが、この下男がボロニヤ石さ。ロッテの眼があれの顔、頬、上着のボタン、外套の襟に注がれたのだと思うと、そういうものがみんなぼくにはひどく神聖で値打ちのあるものになるんだ。その瞬間は千ターレルくれる人があってもこの下男は手放すまいと思ったほどだ。下男がそばにいてくれると実にたのしかった。ーー実際、君、笑っちゃいけないよ、ウィルヘルム、ぼくたちをよろこばすものが幻影だとしても、それでいっこうかまわないではないか。(p54)

  また、以下のようなたけだけしい勢いのある比喩表現の連続もたびたび見られます。

(前略)ーー窓から遠い丘をながめ、朝日が霧を破って丘の上に昇り、静かな草原を照らして、葉の落ちた柳の間を縫ってゆるやかな川がぼくのいる方へうねってくるのを見るときーーああ、このすばらしい自然もまるでニス塗りの風景がのようにぼくの眼下にじっと動かずに置かれているんだ。どんな歓喜も、ぼくの心臓からただの一滴の幸福感さえ頭脳へ注ぎ込んではくれない。まるで水のかれた井戸、かわききった桶みたいに、人間一人が神の面前に突っ立っている。幾度も地に身を投げて神に涙を乞うた。空がぎらぎらと輝き、身のまわりの大地がひからびるときに百姓が雨乞いをするように。(p125)

 

 ちょうど帰省を終え、羽田空港から浜松町へ向かうモノレールのなかで本作を読み終えました。

 

 今後しばらくは自分の小説の執筆に専念し、読書は控えようと思います。