文学の凝縮、アイドルの拡散

99.古井由吉『雛の春』

 

新潮 2019年 07月号

新潮 2019年 07月号

 

古井由吉の新作短編、相変わらずのほれぼれする文章。

 

通常の純文学作家が1ページに1つか2つ、その作家固有の表現を搭載しているとすると、古井はそれが一文ごとに出てくる。

 

 夜には病院のすぐ近くの環状道路の立体交差を渡る車の音がゴトンゴトンと、昔の夜汽車がレールの継ぎ目を踏む音のように伝わる。それにも入院の日のうちに馴れた。家にあって深夜に息を入れに出る南おもてのテラスから聞こえる音とそうも変わりがない。真冬の凍てついた夜にはこれよりも甲高いように冴えて響く。ただ風の渡るように聞こえる夜もある。去年の厳しかった寒の内にはとりわけ耳について、深夜の道を突っ走る人の心を思ったりしたものだ。(新潮2019.7 p10)