文学の凝縮、アイドルの拡散

57.あいまいさの使い方〜是枝裕和『万引き家族』

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 まだぎりぎり上映中の映画。

 車で1時間半かけて両親と映画館にいきました。

 この前カンヌのパルム・ドールを受賞した作品です。

 

 エンタメとしては相当完成度の高い作品だと思いました。

 言葉や表情のかけあいがいい、ユーモラスで心地よい。

 

 気になった点をあげると、まず松岡茉優演じる女の子が、不自然に浮いているような気がしました。

 美人すぎるといえば身も蓋もないですが、まあそれにしてもいい人すぎるというか。

 JKリフレ(?)の客と抱き合うシーンも、ちょっと安っぽいというか。

 もともと「何のとりえもない太った女」という役柄だったのを、松岡茉優抜擢のあとで是枝監督が脚本を書き換えたということらしいですが、その粗が出ているのでしょうか。

 

 あと、取り調べする警察と、警察によって勘違いに誘導されてしまう家族の感じが、ちょっと型にはまりすぎていた気が。

 

 たぶん本作の一番の見所であろう安藤サクラ演じる母親(?)の、取り調べ中に乾いた涙を浮かべながら供述する長回しのシーンは(いや一番の見所は風俗店でブラジャー姿の松岡茉優が真顔で腰を振るシーンだという反論については、わたしはむしろ全面的に賛成します)、たしかに力がありましたね。

 

 本作は随所に「あいまいさ」をのこしている作品だと思います。

 そこには大きく2種類のあいまいさがあって、登場人物がわりときっぱり言明していて腹のなかで意思が決まっているが視聴者には読み取れないというたぐいのあいまいさと、登場人物のなかでも混沌としていてその混沌を視聴者が共有するというたぐいのあいまいさです。

 たとえば万引き常習犯の男の子は前者のあいまいさ、樹木希林演じるおばあちゃんは後者のあいまいさの印象がつよい、という感じです。

 まあ現実的には大人になるにつれて判然としない純文学的な心理を獲得していくものでしょうから、上の結果は当然かもしれませんが、とはいえリリーフランキー安藤サクラの夫婦は前者な感じがしました。

 だから個人的には映画全体としてエンタメの印象を覚えたのですが。

 とはいえおもしろいのは、虐待をうけていた女の子は後者の(あるいはどちらでもない第3の)あいまいさをまとっているということです。

 これはある程度しっかりした意思を獲得する以前の年齢であるという特殊な要因によってもたされたあいまいさですが、それゆえこの女の子がもともとのアパートから外を見つめて終わるというラストシーンの仕上がりは優れていたと思います。

 

 だいたいそういう感じ。