1994年公開の映画。
おれも12歳の女の子からガチ告白されてえな、と思った。
1994年公開の映画。
おれも12歳の女の子からガチ告白されてえな、と思った。
大江が22か23歳くらいで書いた70枚程度の小説。
本作『死者の奢り』と『他人の足』が当時の芥川賞候補、その次の回で『飼育』と『鳩』が芥川賞候補。で、『飼育』が受賞。
これらは本作に限らず大江の作風であるが、「僕の体の深みに、統制できない、ぐいぐい頭を持ちあげてくるあいまいな感情があるのだ」のような観念的な心情の書きつけや、「死者たちは一様に褐色をして、硬く内側へ引きしまる感じを持っていた」という文章における「引きしまる」等の語彙による描写が特徴的。また、「僕」が他者とコミュニケーションをはかることの疎ましさを独白調につづっている箇所もみられる。まあ冒頭からして、抜群に文章がうまい。が、ラストシーンがちょっと唐突におわりすぎなのではとも感じた。
死者たちは、濃褐色の液に浸って、腕を絡みあい、顔を押しつけあって、ぎっしり浮かび、また半ば沈みかかっている。彼らは淡い褐色の柔軟な皮膚に包まれて、堅固な、馴じみにくい独立感を持ち、おのおの自分の内部に向かって凝縮しながら、しかし執拗に体をすりつけあっている。彼らの体は殆ど認めることができないほどかすかに浮腫を持ち、それが彼らの瞼を固く閉じた顔を豊かにしている。揮発性の臭気が激しく立ちのぼり、閉ざされた部屋の空気を濃密にする。あらゆる音の響きは、粘つく空気にまといつかれて、重おもしくなり、量感に充ちる。(冒頭)
なんとなくブログのタイトルを変えた。以前のタイトルについてかねがね気持ち悪いと思っていたので。
伊藤比呂美は詩人だが、小説もいくつか書いていて、本作は芥川賞候補にもあがった。
まずもって、ああ、詩っぽい~、て感じがある。ろくに詩のことを知らないけど。筋につかみどころがなくて、気を張っていないと書かれている文章が頭を素通りしてしまう。「あたし」の一人称小説なのだが、地の文における転換が自在で、記述の矛先は頻繁に切り替わり、使用される日本語そのものへのメタ的な言及もたびたびある。軽量でびみょうにアンバランスな言葉のつらなり、雲みたいなイメージが始終たゆたっている。
エルニーニョが終わったそうですね。
誰に聞いたか忘れましたが、聞いたのはたしかです。
それで今度はラニーニャだそうですね。不思議な命名です。エルニーニョの女性形だということならわかります。
今年の冬は雨だらけでした。
豪雨と言っていいほどの雨がひんぱんに降りました。
屋根は雨もりがして、床は湿気で膨張して、家の前の道路は水があふれました。あたしたち、こっちに、傘なんて持って来ませんでした。向こうじゃ何本も何本も持っていたんですが。(冒頭)
はじめてちゃんと西加奈子よんだ。
読みやすい。島のゴージャスなホテルに三十路女が一人旅してバーでふたりくらいの変な男と出会うという舞台設定がいい。エンタメっぽいというか定型っぽい書きつけも多いが、光る表現もところどころある。200ページもある小説よんだのひさしぶりで、やっぱ長い小説の読後感っていいなと思った。
空を見上げると、満月まであと少し、というところの月が浮かんでいる。その光の加減が、色みが、ここから見えるバーにそっくりで、私は目を瞑った。(p85)
最近は乱読乱筆、のつもりだができてたりできてなかったり、慢性的にお金がない、飲んでばかりいるので、女性とも、野郎とも、ひとりの夜は息が止まりそうになる、というのは乱暴すぎる表現、だが遠からず。
『そこどけあほが通るさかい』は今回の群像新人賞受賞作。
少女の回顧と独白をつらねた文章の全体は、平易だが圧迫感がある。『ジニのパズル』に近い印象。てかふつうに面白い。この手の作品は、読みやすいし次の展開が気になるので、短い体感時間で読めてしまう。
平易な語彙によるモノローグの文章は、本小説のように主人公を未熟者に設定する必要があることを再確認した。「大人」が主人公では許容されない。そして肉薄に伴うちょっとした文体のゆらぎが、うまい具合に味付けになる。
「だから木田はあかんねや。嫁もあかんねや」
とお経か呪文か知らんけど唱え始めた。怒鳴り損ねて婆を見つめてるおっさん。母ちゃん落ち着きいなと婆のもとに来て背中をたたいてる伯母。どないしたらええねんこの状況。はよ屁ェこいてえな。出えへんのやったらうちが気張ってみよか。(群像6月号p42)
ふとしたときに気づく程度の雨音が、部屋のなかに所在なさを充填していく。
氏が25歳で書いた、群像新人賞受賞のデビュー作。
独特の芸術形態を追及する画家というキャラクターはありふれているが、地獄絵の形象、外界の観察と創作姿勢、どろどろとした思索のうねりが偏執的に反復され、それらのテクストの重量が切実である。
彼の心の中には憎悪で統括された”悪しきもの”の燃えさかる世界像が埋もれているはずであった。その試みはいわばあらゆる地獄から抽出した”憎悪”を絵画にして表すという行為だったのである。地獄は歴史と個人を洗い流し民族固有の教義や性格を取り去ってなお成立する、最終的には”憎悪”に還元する事のできる抽象概念として捉えられていた。(河出書房新社p52)