文学の凝縮、アイドルの拡散

10.『蟹』河野多惠子ー瑣末な執着心

 河野多惠子の『蟹』を読みました。

 80枚の短編、1963年上半期の芥川賞受賞作です。

幼児狩り・蟹 (P+D BOOKS)

幼児狩り・蟹 (P+D BOOKS)

 

  読もうと思ったきっかけは、図書館で半年ほど前の群像を読んでいたときに、瀬戸内寂聴氏と佐藤愛子氏の対談記事があり、そこで二人が「河野さんは天才だった」と褒めそやしていたのが気になったからです。

 

 さて本作は、旦那のもとを離れて海岸沿いの町へ転地療養している悠子が、二日間ほど旦那の弟の息子を預かって、その子供のために一緒に蟹を探してやる、という風なお話です。

 当時芥川賞の選考委員だった井上靖の以下の選評が端的かつ的確かと思います。

 河野多惠子氏の「蟹」はきちんとした乱れのない文章で、海岸に転地療養している女の心理の陰影をよく描いている。少年の蟹さがしに執心することを夫に知らせまいとする気持のひらめきが、この作品の核のようなものであるが、なかなかしゃれたものだと思った。この作者のものは、前に候補になったもの二篇読んでいるが、作品としては「蟹」が一番よくまとまっている。仕上がりがみごとなだけに弱い印象も受けるが、こうした破綻のない好短篇の受賞もまた久しぶりでいい。(芥川賞全集六巻p448)

 本作を読んだ私の感想としては、まず、当然のことながら文章がうまいですね。

 例えば療養中の悠子の様子を書いたこの段落(ページ番号は芥川賞全集六巻に従っています、最寄りの図書館に単行本がなかったため)。

 そこでの悠子は、午睡こそ欠かさなかったが、午前と日暮れまでの時間の大半を、戸外で過ごした。海際につくられた大きな生簀を見に行ったり、少し遠くにある生花畑まで出かけマーガレットやストックなどを三本十円で分けてもらうこともあったが、 最も永く居るのは海辺だった。ひと気のない海の家のテラスや、一昨年とかの台風の名残だという鉄棒の捻れたブランコの、それだけ使えるいちばん端のや、岩続きのほうの一角などに、彼女は腰をおろす。波は打ち寄せる都度、違ったかたちを見せた。岩の窪みの水溜りでは小さな黒い巻貝どもが遊んでいた。低い岩と岩との間へ来る波は、ちぎれた海藻をどっと送り込み、また連れ去って行く。それらを、彼女はいつまで眺めていても飽きなかった。陽が傾くと、海は本当の紺碧に冴えた。それをなお暫く眺めてから、風の出はじめたのに気がついて、彼女は漸く戻るのだった。(p297)

  そして後半部分からは、大したことじゃないはずなのだけれど甥っ子のために蟹を見つけることに執着してしまう主人公の様子が、なんとも文学的でいいんですよね。

 一緒に蟹を探していたことが旦那にバレるのがなんとなく嫌で、甥っ子に声を荒げてしまう場面とか、ああなんかわかる(もちろん経験したことはないけれど)、そうだよね、そうだよね、という感じ。

 

 全体としてはさっぱりした味付けで、けれどうまく文学的なツボみたいなのを押し続けているのが、確かに好短篇だな、という作品でした。