文学の凝縮、アイドルの拡散

33.永沢さんにはなりたくない

 

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

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 世間では、村上春樹の小説はネタ扱いされたり、おしゃれを気取っていてつまらないとか批判されることが多々ありますが、多少なりとも文学をかじっている人たちの間で、村上春樹のことを非難する人はひとりたりとも見たことがありません。

 毎年ノーベル文学賞候補の筆頭に上がるのも伊達ではなく、国内外問わずもっともリスペクトされている現代作家の一人であることは間違いありません。

 まあそんなのは今更私が言及することでもないのですが......。

 

 さてそんな村上春樹の言わずと知れた傑作『ノルウェイの森』の中で、永沢さんという登場人物は特別異彩を放っています。

 本当になんでもできてしまう完璧な男、という感じ。

 いくつか有名な名言も残していますね。

 「自分に同情するのはもっとも下劣な人間のやることだ」とか「俺は死後30年が経過した作家しか読まない、ただしフィッツジェラルドは例外だ」とか。

 

 でいったん話が変わるのですが、最近、私のとある友人がこっそりユーチューバーをやっていたことを知りました。

 ツイッターのつぶやきも、1万いいね越しているものがざらにあって、さながらインフルエンサーという感じでした。

 けどなんというか、彼のツイートや動画を見ていて、少し残念な気持ちになった自分がいました。

 これは彼をディスっているわけでもなんでもないのですが、思わずうーんと首を捻ってしまった。

 私が感じた違和感は、一言で言うと「いやお前そんな大衆的価値観への迎合に必死になってどうすんねん」っていう風なものです。

 彼が心底好きでそういうことをやっているとは、私にはどうしても思えなかったんですよね。

 好きでやってるんだったらそれはそれで残念、あるいはやっているうちに好きが肯定されていくのかもしれませんが。

 とにかくまあ、ある種のセンスもあるし能力も高いから、彼にとってはバズるツイートや動画を生み出すことがさほど難しくないのだと思います。

 それって多分、できちゃうから、多くの人には無理だけど自分にはこなせることが目の前に転がっていて、わざわざそれを見過ごすのも気持ち悪いから、っていう衝動が関わっている気がします。

 しかし自分の「適正」にそぐおうとするのは、自分の内に根差す意思や嗜好とは乖離した行動であって、またそういう行動を続けているからいつまでも「主体」が宙ぶらりんになったままという循環もあると思います。

 まあ「自分はこれがしたいんだ」みたいな確固とした意思を持つことは、難しい上にある意味でとても不自然なことですし、それならむしろ割り切って主体を大衆的価値観にすげかえてしまうのがアイデンティティを肯定するためのひとつ有用な手段だというのはよくわかるのですが......。

 

 そして話を戻すと、永沢さんの生き方は、上述したユーチューバーをやっている友人の例に多少通じるところがあると思っています。

 夜の街に頻繁に繰り出し女の子と寝ることを繰り返していた永沢さんが主人公からわけを尋ねられたさいに、「可能性が転がっていたら見過ごせないものなんだよ」と返答していたことなど、永沢さんは結局自分の「適正」に支配されていて「やりたいこと」みたいなのが欠落しているんですよね。

 外務省へ就職する理由も「高いレベルで力試しがしたいから」だし。

 まあ確かに、そういう「自己成長したい」系の目標を掲げる人は(とくに就活を通して)たくさん見てきましたが、なんとなく残念だなあと思ってしまいます。

 なので、永沢さんが強靭な精神力や決断力を備えていることは疑う余地がないのですが、ことにどう生きるかという話になると、途端に脆弱さを露呈しているように思えます。

 そのやりきれなさが例えば、主人公が永沢さんに決して心を許さないきっかけとなった「ある日女の子にひどく意地悪な態度を取っていた」みたいな言動に、ひずみとなって現れていたのではないでしょうか。

 好きなことややりたいことというのは、もう運否天賦のように降ってくるものでしかないというか、永沢さんもそれをわかった上で自分の嗜好性の薄弱さに苦しんでいたようにも見えるし、仕事なり恋愛なり適当に自己暗示かけて生きがいとか感じちゃったりする凡百の人間があふれている中で、それが見つからないのは一種の知能病なのだと思いますが、まあいずれにしてもずいぶん大変そうですよね永沢さんは。

 

 短いですが、ユーチューバーの友人のことを知ってからふとそういうことを考えました。

 だから私は、永沢さんみたいにはなりたくないと思いました。

 そういう生き方は進歩がありそうで進歩がない気がするので。

 

 まあ、それも言うは易し行うは難しなんですが......。