文学の凝縮、アイドルの拡散

43.文体の抜群のユニークネス〜若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』

 

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

おらおらでひとりいぐも 第158回芥川賞受賞

 

 

 63歳(昨年)若竹千佐子氏による史上最年長文藝新人賞受賞作、かつ前々回の芥川賞受賞作。

 読み始めてすぐ、これは相当な傑作だ。

 ここ最近読んだ小説の中で一番おおと唸らされた気がします。

 とにかく文体のユニークネスという点において、他のあらゆる小説から抜きん出ている作品です。

 

 地の一文の中で、標準語と東北弁が往復し、三人称と一人称が往復し、言葉遣いが波打つようにたゆたい浮きつ沈みつ繰り返します。

 さりながら、時至り、夫なる人も隠れては、どんなに叫んでも何にもならない。そうなると涙振り払い、桃子さん自ら新聞紙丸めて、それも間に合わないときはスリッパのかかとでもって、思いっきり引っぱたく、命中すれば多いに快哉を叫び、自分にも獣の本性まごうことなくあったわいなどと納得し、ふつふつとたぎるものに喜んだりしたものだった。それが今はどうよ。近頃はまったくそんな気も起ぎねのは、ねずみの醸す音のせいだけでねべも、いったいおらのどんな心境の変化なんだか、と誰かが言い、すぐにまた話題は転じて、だどもなして今頃東北弁だべ。そもそもおらにとって東北弁とは何だべ、と別の誰かが問う。そこにしずしずと言ってみれば人品穏やかな老婦人のごとき柔毛突起現れ、さも教え諭すという口ぶりで、東北弁とは、といったん口ごもりそれから案外すらすらと、東北弁とは最古層のおらそのものである。もしくは最古層のおらを汲み上げるストローのごときものである、と言う。(p15)

 選考委員の奥泉光の選評

「本作はひとりの老女の内面の出来事を追うことに多くの頁が割かれて、彼女の記憶や思考を巡る思想のドラマが一篇の中核をなすのであるが、こうした「思弁」でもって小説を構成して強度を保つのは一般に難しい。ところがここではそれが見事に達成されている。」

 について、私もまったく同じ感想を抱きました。

 思弁的にしても何にしても、特異な文体というのはそれ自体成立させることが難しいから特異なのであって、にもかかわらず特異な文体で作品としての強度を保っている小説には脱帽するよりありません。

 

 安部公房にしろ村上春樹にしろ町田康にしろ、もちろん本作を書いた若竹千佐子氏にしろ、他から卓越して特異な文体を使いこなせる作家を読んでいると、大した筆力だと羨ましい限りです。