文学の凝縮、アイドルの拡散

77.松浦理英子『葬儀の日』

 

葬儀の日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

葬儀の日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

 

松浦理英子氏が20才のときに書いた、文學界新人賞受賞作。つまりデビュー作。

 

これを、だれがどのように評価できるのだろう。葬儀のさいに依頼される「泣き屋」、「笑い屋」という架空の職業(泣き屋という職業は実際にあるらしい)をとりあつかいながら、思弁的・観念的な描写が多用され、小説の後半はほとんど詩に等しい。過度なメタファが気になるといえば気になるが、その余剰は不恰好な姿をさらすのではなく、むしろ熱情の海に結びついているように思われる。

76.柴崎友香『春の庭』

 

春の庭

春の庭

 

 

ちょっと前の芥川賞作品。

 

アパートに住む三十代の男を中心に、その隣人たち、周辺の建造物の輪郭を、さらさらと、それでいて柔らかい手触りで描く。たいした筋はない。悪くいえば退屈。がしかし、気づくと、読者は構造を失った不思議な浮遊感のなかに連れていかれる。テクストのはざまに、薄暗いやぶれが口をあける。手を差し伸べると、そこにはほのかなぬくもりがあり、確かに、ちいさくぼんやりと発光している。

 

 つまみも、ビールももうなくなっていた。雪に覆われた街は、静かだった。雪でなくても、この街は静かなのかもしれなかった。時折、屋根や木の枝から雪が落ちる音が聞こえた。音が重さそのものだった。白い結晶の塊は、温度を吸い取っていった。家も木も電線もアスファルトも空気も夜も、温度が下がっていった。(p127) 

 

75.町屋良平『1R1分34秒』

 

第160回芥川賞受賞 1R1分34秒

第160回芥川賞受賞 1R1分34秒

 

先日発表された芥川賞受賞作。

 

わたしは現在町屋駅徒歩5分の場所でシェアハウスをしているが、どうやら町屋良平氏も近所に暮らしているみたい。

 

筆のにぎりが軽い。感情の噴出、文章の奔流がアクロバティックに展開されるが、バランス感覚が巧みにコントロールされていて、全体としてくどい印象はなくさらりとした後味がここちよい。モノローグ的な文章の集積の最下層からしぼりだされる言葉、長い潜水ののちの息継ぎにも似た情動の披瀝が、読者の胸の内に克明なフレーズとして残る。

 

 ぼくは飽きもせずもう一度窓辺の彼女を抱いた。まだパンツだけの姿だったぼくに、ぼくのシャツを着た彼女。いいにおいがして、ぼくはもう、果てしがないよ。(文藝春秋2019年3月号 p444) 

 

74.チェーホフ『三人姉妹』

 

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

桜の園・三人姉妹 (新潮文庫)

 

友人に、

「君の彼女は小説の登場人物でいうと誰に似ているんだい」とたずねたところ、

「強いていえばチェホフの『三人姉妹』の三女のイリーナかな」と返答されたため、本作を拝読。

 

戯曲であるため、作品はほとんどセリフのみで構成されている。

 

私は戯曲という散文作品をちゃんと読むのがおそらく初めてで、この形式自体が新鮮。登場人物の数が多く、一読で話を追うのは困難。が、書かれているセリフそのものは(私の読書経験からすると)風変わりであり、興味深い。全体を通してあまり会話が噛み合っていないのもよい。

 

自由と束縛どっちつかずの場所で、ささいな苛立ち、繰り返される落胆、恋愛への没入、堂々と語られる哲学論、そういったいくつもの歯車がゆるく噛み合いながら、全体の機関がなんともいえず非効率に回転している。そういう印象。

72.羽田圭介『メタモルフォシス』〜マゾヒストな証券マンの話

 

メタモルフォシス (新潮文庫)

メタモルフォシス (新潮文庫)

 

中村文則氏が某ネット記事のインタビューで、本作を読んだとき初めて自分より年下の男性作家ですごいと思うやつが現れた、と述べていたため手に取った。

 

まずもって、SM風俗の人道を逸した肉体的苦痛をともなう調教プレイ、詐欺まがいの手練手管を用いて老人から資産をむしる小規模証券会社の仕事という、A面B面のようなふたつの舞台自体、たくさんの新鮮な情報をはらんでいて面白い。ふたつの舞台の取り合わせも、単純にうまい。

 

女王様との調教プレイの最中のみならず生活のあらゆる面に横溢した、主人公たちの非人道的なまでに過剰なマゾヒストの欲望の発露も、熱量があり、緊迫感があり、説得力があった。

 

しかし、そういった生々しく凄惨な描写の集積があるにもかかわらず、ラストシーンが大仰に見えた部分もあり、読後感としては案外に軽い、空虚な印象が残った。これは読者の想像力の不足であろうか。

71.寒川光太郎『密猟者』〜芥川賞史上もっとも激賞された小説のひとつ

 

芥川賞全集 第2巻

芥川賞全集 第2巻

 

 

1940年第10回芥川賞受賞作、寒川光太郎の『密猟者』。

 

まずもって、遠い場所で書かれた文章という印象が強烈であった。それは約80年の時代の隔たりや、北方の狩猟者という舞台設定に起因するのではなく、堅固でありながら奔放自在のレトリックをはらんだ特異な文体によるものと思われる。

 

一見、硬い。読みづらい。がしかし、比喩表現や言葉の取り合わせ方がおそろしく柔軟である。

 

芥川賞選考委員の評価は、のちの古井由吉『杳子』に並ぶ激賞揃い。が、今となっては本作は単行本も入手困難、ほとんど無名の作品と化している。残る作品と残らない作品をわかつものはなにか。

70.『銃』中村文則〜さっぱりとした狂気、破綻した心情

一ヶ月ぶりの更新となりました。

 

じっさい修論に追われ、小説からも映画からもながらく距離をおいていました。 

 

研究および学生生活のおわりを迎え、同時に空白の春が私を包みこみ、かかる立場におかれ無闇な追想にふけったりもしますが、ともあれ、前進しなければなりません。

 

これからは、物語を想像し、表現を推敲し、センスを研磨する、そういった行為に情熱の矛先が傾倒していくだろうと思います。

 

銃 (新潮文庫)

銃 (新潮文庫)

 

2002年新潮新人賞受賞作であり、中村文則氏の処女作。

 

主人公の心情や行為を描写するさいのもってまわったような文体が、序盤はやや不恰好に感じるが、しだいに「さっぱりとした狂気」とでも形容すべきなにかと絡み合い、袋詰めの腕のないザリガニが登場するあたりから、物語世界に強力に引きずり込まれる。不自由な感情の知覚、規範を取り払った原始的な心の動きが、生々しさを加速させていき、終盤はもはや心情そのものが破綻しているかのよう。

 

刑事との会話など、推理小説的なモードを感じる場面もあるが、結局純文学としてすべてが回収されている。

 

引用は、終盤、喫茶店で女としゃべっているシーン。

「だから、そんなこと、どうだっていいだろう? それが、どうしたっていうんだよ。何だっていいじゃないか。そうだよ、何だっていいんだよ、当たり前じゃないか。よく、わからないなあ、ほんとに、わけわかんねえよ、俺が死んだって、君が死んだって、俺の父親が死んだって、そこの誰かが死んだって、死ななくたって、何だっていいじゃないか。そうだろう? 大したことなんて、どこにもないんだ。どこにも、ないんだよ。そんなものは、存在しないんだ。何だかさ、もう、いいじゃないか。とにかく、僕が、いや、僕でも俺でも、どっちでもいいけど、例えばそれが、ここで何かをしても、例えば、このテーブルを、このテーブルをさ」

 私はそこまで行って、突然、恥ずかしくなった。何が恥ずかしいのかはよくわからないが、その場にいられないような、そういう気分になり、というより、そういう気分になりたかったような、よくわからないが、とにかくそこから出たくなり、そのまま席を立った。私は店のレジの辺りに千円札を起き、ウエイトレスに御馳走様でしたと言い、店を出た。(p158, 河出文庫