文学の凝縮、アイドルの拡散

文学

85.今村夏子『こちらあみ子』

太宰治賞を受賞した氏のデビュー作。 「怪物」的少女を主人公にすえた小説で、三人称ながらunreliable tellerの書き方がなされているが、描写材料のとりあわせにささやかな心地よさが通底している。主人公の心情変化の足踏みといびつさ、会話の不通の描き方…

84.多和田葉子『かかとを失くして』

群像新人賞を受賞した氏のデビュー作。(とはいえその以前にドイツ語で小説を書いて賞とかもらっていたらしいけれど。) 奇妙でファンタジックな描写、というよりも感覚、しかし上等な何かが詩的な断片としてつぎつぎと横切り、織りこまれていく。偶発的で一…

83.奥野紗世子『逃げ水は街の血潮』

ひさかたぶりの更新。 小説をかこうかこうと思いながら結局かくことはなく、飲み会やら出会い系やら引っ越しやらにたたみかけられながら、学生最後の一か月はすぎていった。むろん小説や映画にふれることもなかった。 そして、正真正銘のフリーターになった…

81.松浦理英子『乾く夏』

デビュー作『葬儀の日』の約1年後に発表された小説。 自傷行為、ジェンダレスな愛情、ある種の選民思想、セックス、性機能不全、そういったさまざまな若気の断片が折り重なった、ふたりの女学生の交流。ここでは何かが、それはありていにいえば「こじらせ文…

80.町屋良平『青が破れる』

文藝賞を受賞した、氏のデビュー作。 全体を通して通俗的な「甘酸っぱさ」を漂わせながらも、確かなる文学。しびれるフレーズが多くみられる。芥川賞受賞作『1R1分34秒』と比較して、持ち味であるテクストの自在な運動はそのコントロールがぞんざいだが、感…

79.古川高麗雄『プレオー8の夜明け』

1970年芥川賞受賞作。「8」はフランス語読みで「ユイット」と読む。 第二次大戦後、戦犯容疑でベトナムに拘留された旧日本兵たちを描く。娯楽のため、檻の中で脚本を書き、演者をあつめ、演劇をやる主人公。設定がおもしろい。死の匂いのする、戦争文学の殺…

78.開高健『裸の王様』

開高健の芥川賞受賞作。 扱っているテーマは児童教育。児童にたいする大人たちの当を得てない思惑を、画塾の先生である主人公は気に食わない。 くりかえし述べられる教育論めいた話にはどこか既視感がある、しかし、その鮮烈な描写はけして風化していない。…

77.松浦理英子『葬儀の日』

松浦理英子氏が20才のときに書いた、文學界新人賞受賞作。つまりデビュー作。 これを、だれがどのように評価できるのだろう。葬儀のさいに依頼される「泣き屋」、「笑い屋」という架空の職業(泣き屋という職業は実際にあるらしい)をとりあつかいながら、思…

76.柴崎友香『春の庭』

ちょっと前の芥川賞作品。 アパートに住む三十代の男を中心に、その隣人たち、周辺の建造物の輪郭を、さらさらと、それでいて柔らかい手触りで描く。たいした筋はない。悪くいえば退屈。がしかし、気づくと、読者は構造を失った不思議な浮遊感のなかに連れて…

75.町屋良平『1R1分34秒』

先日発表された芥川賞受賞作。 わたしは現在町屋駅徒歩5分の場所でシェアハウスをしているが、どうやら町屋良平氏も近所に暮らしているみたい。 筆のにぎりが軽い。感情の噴出、文章の奔流がアクロバティックに展開されるが、バランス感覚が巧みにコントロ…

74.チェーホフ『三人姉妹』

友人に、 「君の彼女は小説の登場人物でいうと誰に似ているんだい」とたずねたところ、 「強いていえばチェホフの『三人姉妹』の三女のイリーナかな」と返答されたため、本作を拝読。 戯曲であるため、作品はほとんどセリフのみで構成されている。 私は戯曲…

72.羽田圭介『メタモルフォシス』〜マゾヒストな証券マンの話

中村文則氏が某ネット記事のインタビューで、本作を読んだとき初めて自分より年下の男性作家ですごいと思うやつが現れた、と述べていたため手に取った。 まずもって、SM風俗の人道を逸した肉体的苦痛をともなう調教プレイ、詐欺まがいの手練手管を用いて老人…

71.寒川光太郎『密猟者』〜芥川賞史上もっとも激賞された小説のひとつ

1940年第10回芥川賞受賞作、寒川光太郎の『密猟者』。 まずもって、遠い場所で書かれた文章という印象が強烈であった。それは約80年の時代の隔たりや、北方の狩猟者という舞台設定に起因するのではなく、堅固でありながら奔放自在のレトリックをはらんだ特異…

70.『銃』中村文則〜さっぱりとした狂気、破綻した心情

一ヶ月ぶりの更新となりました。 じっさい修論に追われ、小説からも映画からもながらく距離をおいていました。 研究および学生生活のおわりを迎え、同時に空白の春が私を包みこみ、かかる立場におかれ無闇な追想にふけったりもしますが、ともあれ、前進しな…

55.わたしもあなたも異邦人〜アルベール・カミュ『異邦人』窪田啓作訳

1941年刊行、言わずと知れた最も有名なフランス文学、ひいては最も有名な世界文学のひとつだと思います。 ずっと前から古本を購入して手元には置いてあったのですが、ようやく読みました。 まず取り上げたいのは、とくに前半部分の、読んではそのまま頭の中…

47.めっちゃ平易に短歌を説明した良書〜穂村弘『はじめての短歌』

タイトルのまんまですが、めっちゃ平易に「短歌」を説明してくれる良書です。 短歌とは何か、短歌はどう読む(詠むの方ではなく読解するの方)のか、など。 本書ではよい短歌とその「改悪例」を示して、もとの短歌のどの部分がうまいのかということについて…

43.文体の抜群のユニークネス〜若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』

読み始めてすぐ、これは相当な傑作だ。 ここ最近読んだ小説の中で一番おおと唸らされた気がします。 とにかく文体のユニークネスという点において、他のあらゆる小説から抜きん出ている作品です。

39.エスプリ的な文章〜堀江敏幸『熊の敷石』

本作は堀江敏幸の2000年下半期芥川賞受賞作品です。フランスで生活する日本人の話で、本人もフランス文学者、わりと私小説的な作品らしいです。筆致は軽やか、突然時間軸を遡ったり、場面が切り替わったり、内省的な文章と風景描写が混じっている感じもあっ…

33.永沢さんにはなりたくない

世間では、村上春樹の小説はネタ扱いされたり、おしゃれを気取っていてつまらないとか批判されることが多々ありますが、多少なりとも文学をかじっている人たちの間で、村上春樹のことを非難する人はひとりたりとも見たことがありません。 毎年ノーベル文学賞…

30.ファンタジーの描写方法〜安部公房『壁』

ブログを始めて約4ヶ月がたち、これでちょうど30本目の記事となりました。 最近は映画の感想が続いていましたが、今回は原点回帰(?)して小説の感想を書きます。 壁 (新潮文庫) 作者: 安部公房 出版社/メーカー: 新潮社 発売日: 1969/05/20 メディア: …

24.長編小説を書くということースコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』村上春樹訳

本作を読んでいる最中から、私は小説について、小説を書くことについて、そしてまた私が小説を書くということについて、絶えず考え続けていた。 ずいぶん哀しくて、ずいぶん嬉しくて、全体としてずいぶん沈んだ気持ちになった。 本作によって抱いた感懐の半…

21.読みさしで終わった2つの小説についてー『送り火』と『春、死なん』

近所の某巨大図書館では、新刊の雑誌は貸し出し不可。 なので、新刊の文芸誌はこの図書館に行けば必ず置いてあって読むことができるので(基本的に閲覧している人がいない)、重宝しています。 で数日前に、文藝春秋に掲載の『送り火』を読み始めました。 こ…

16.『優しいサヨクのための嬉遊曲』島田雅彦ー愉快な文章

現芥川賞選考委員、島田雅彦氏のデビュー作です(氏は本作を含め六度芥川賞候補になり落選するという最多記録タイを保持しています)。 島田雅彦芥川賞落選作全集 上 (河出文庫) 作者: 島田雅彦 出版社/メーカー: 河出書房新社 発売日: 2013/06/05 メディア:…

15.『幼児狩り』河野多惠子ー性癖の告白

河野多惠子の『幼児狩り』です。 40ページくらいの短編。 幼児狩り・蟹 (P+D BOOKS) 作者: 河野多惠子 出版社/メーカー: 小学館 発売日: 2017/03/07 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る 河野作品は以前『蟹』を取り上げたことがあります。 ippei…

14.『鏡のなかのアジア』谷崎由依

鏡のなかのアジア 作者: 谷崎由依 出版社/メーカー: 集英社 発売日: 2018/07/05 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る 先日発売された、谷崎由依氏の短篇集です。 運良く図書館で借りられました。 谷崎由依氏を初めて読んだのが、本短篇集収録の『天…

13.食の描写について

小説における食の描写にはその作品の特徴がよくあらわれる気がする。 作品によって、そもそも食の描写の多さに差があるし、選択される料理の種類や、食べる行為を描写するさいの追いかけ方など、よく観察するといろいろ違いがあって面白い。 これは単に作品…

12.『三匹の蟹』大庭みな子ーアクロバットな文章

アクロバットな文章を書く作家というのがいます。 まあ、アクロバット、と一口に言ってもいろんな種類があると思いますが、私の言いたいのは、なんというか、普通の論理感覚だとそういう文章にならないだろう、と思っちゃうような文章のことです。 冷静に一…

11.『葉桜と魔笛』太宰治ー真骨頂の女性独白

太宰治の『葉桜と魔笛』を読みました。 青空文庫でも読めます。 10ページ程度の短い小説ですが、『斜陽』などにも見られる太宰のお家芸、品が良くて感情的でつらつらとした感じの女性独白の文体が存分に発揮されています。 (ページ番号は、ちくま文庫版『…

10.『蟹』河野多惠子ー瑣末な執着心

河野多惠子の『蟹』を読みました。 80枚の短編、1963年上半期の芥川賞受賞作です。 幼児狩り・蟹 (P+D BOOKS) 作者: 河野多惠子 出版社/メーカー: 小学館 発売日: 2017/03/07 メディア: 単行本 この商品を含むブログを見る 読もうと思ったきっかけは、図書館…

8.『美しい顔』北条裕子ーエンタメ的なコード

最近何かと話題になっている『美しい顔』を読みました。 本作は、二ヶ月前に発表された群像新人賞受賞作であり、現在芥川賞にノミネートされている作品でもあります。 しかし最近になって、作中の一部の描写が他の著作にそっくりだということで物議を醸し、…